2012年2月22日水曜日

2月22日 ジョシュア・フォア「ごく平凡な記憶力の私が1年で全米記憶力チャンピオンになれた理由」


「羊たちの沈黙」の続編である「ハンニバル」で天才的な頭脳を持つ殺人者ハンニバル・レクター博士はその頭の中に千もの部屋がある広大な宮殿を構築していた。
この宮殿を歩き回るだけで過去のすべての記憶も呼び起こすことができる……小説でこの描写を読んだとき、そんなことができるのは天才だけだ、と思った。

だが天才でなくても、「記憶の宮殿」は誰もが作ることができる。
そう教えてくれたのが、「ごく平凡な記憶力の私が1年で全米記憶力チャンピオンになれた理由」(著:ジョシュア・フォア、訳: 梶浦真美 エクスナレッジ刊)だ。
「記憶の宮殿」は古代ギリシャで知識人の必須のツールであった「記憶術」に由来する。
この記憶術の存在を知った新進気鋭の科学ジャーナリスト(記憶力は人並み)が、その技術を磨きはじめる。そして1年で記憶力の全米チャンピオンになってしまう
そのプロセスをじっくりと描いた渾身の実験ドキュメンタリーがこの一冊だ。

驚いたのは実際に記憶の宮殿を自分でつくってみると、たとえば「タヌキ、ウサギ、クマ、ライオン、ネズミ、サル、ブタ、キリン、ウシ、ウマ」など、通常ではとても覚えられないことが、何回でも頭から出し入れできるということ。
すごい!

しかし、本書のおもしろさはそれだけではない。
こうした記憶術は、文字の発明とともに力を失っていった。
文字にして残しておけば覚える必要はない
どこに何が書いてあるかということだけを覚えておけば済む時代になった。

やがて時は進み、今は文字に書き残す必要さえなくなった。
膨大な記憶容量を持つコンピュータがその代りを務めるようになったからだ。
そして記憶することではなく、いかに外部記憶を活用できるかということが重要視されるようになった。外部記憶から知識や情報を取り出し、それを組み合わせていく……。
今までそのことに何の疑問を持たなかった。
だが、本書を読んで、私達は真に知的に進化したといえるのだろうかという疑念がむくむくと湧き上がってきたのだ。

「私たちの実態は、記憶のネットワークである」
「記憶と想像は、コインの表と裏のようなもの」
 という著者の言葉は重い。
知的行為において記憶力は必要条件であり、基盤となるものでもあるともいう。

確かにそうだと思い、そして覚えることを放棄してはいけないと心に刻みつつも、ではあなたは記憶力を鍛えることができるのか問われると、やはり恐れをなして首をひねってしまうのだけれど……。

ITが発達し、膨大な外部記憶を持ってしまった現代。
文明論としても読みごたえがある。

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